あおなにしお

黒田ネコがいろいろ書きます。

人を見た目でしか判断できない陰キャラだった頃の話

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17歳。昼休みにお弁当を食べながら、誰かが「授業が終わったら大通りにジェラートを食べに行こう」と言う。きゃあ、行く行く、という声、インターネットでメニューを開いてみんなで覗き込む。フルーツジェラートフローズンヨーグルト、ミルクスムージー。これがいいね、でもこっちも気になる、画面をスクロールしていく指先に施されたピンクのマニキュア。

 

 

こんばんは、黒田ネコです。今日もお昼まで寝ていました。一生夏休みだったらいいのに。

 

今でこそ必死にキラキラ系女子に擬態していますが、高校時代、わたしはいわゆる「陰キャラ」でした。重たい前髪と血色の悪い顔。貞子にちょっと親近感を覚えるレベルでした。でも貞子ってもともとすごく美少女だったらしいですね。おめめパッチリだもんね。親近感なんておこがましいですね。

陰キャラだったわたしは、教室の真ん中できゃあきゃあ騒いでいる女の子たちを遠くから見ていました。そして教室の隅で本を読んでいました。教室の中に友達はいませんでした。ひとりでお弁当を食べていました。

小さなことで大声をあげて笑っている女の子たち、ピアスの穴や緩く巻かれた毛先、薄い化粧、マニキュア、どれも校則違反でした。くだらないと思っていました。頭が悪そうだとも思っていました。わたしはあの子たちの何倍も本を読んでいるし、何倍も言葉を知っている。何倍も、色々なことを考えている。それだけがプライドでした。自分は賢いと思っていました。どこにでもいる明るい子たちとは違う、大人で、頭が良くて…、

 

なんてことはない、本当はただの自意識をこじらせた、どこにでもいる暗い子でした。そして本当は、キラキラ系女子が羨ましくて仕方ありませんでした。

ひっそりと、華やかな女の子たちの真似をして、高校3年間でスカートの長さを調節するベルトを3度没収されました。地味な顔、地味な髪型、不自然に短いスカートが今思えば滑稽でした。おかげで陰キャラのくせに生活指導の先生に顔を覚えられていました。休みの日には指先にマニキュアを塗りました。見せる相手はほとんどいませんでした。整えたくて失敗をして、ほとんどなくなった眉毛を、重たいぱっつんの前髪で隠していました。

 

一番ダサいやつですね。

人を見た目で判断して馬鹿にしながら、心の底では憧れていて、けれどそれを認めたくないからまた馬鹿にする。嫌な女でした。

 

 

 

今年で21歳になりました。昼休み、スマートフォンを覗き込みながら、フルーツジェラートフローズンヨーグルト、ミルクスムージー。これがいいね、でもこっちも気になる、画面をスクロールしていく指先に施されたピンクのマニキュアを見て、可愛い色だね、と友人が褒めてくれました。高校時代に買ったものでした。茶色く染まった髪、分けた前髪、化粧を落とすと眉毛はいまだにないけれど、上手に描けるようになりました。

 

「陰キャラ」ではない、キラキラ系女子でいるためには、ある程度の努力が欠かせないことを知りました。努力など全くせずにその立ち位置にいるナチュラルボーンキラキラガールも多いとは思いますが、努力の元キラキラを維持している女の子も一定数いると思います。努力までしてキラキラしていなければいけないのかという疑問は置いておいてください。

友人はみんな「今どきの女の子」という感じだけれど、それぞれがいろいろなことを考えているし、いろいろなことを知っています。全員が全員ダンスミュージックを聴いているわけでも、パンケーキが好きなわけでもありません。本が好きな子もいます。

 

教室の真ん中、大声で笑っていた子の中にも、多分、本が好きな子はいたんじゃないでしょうか。

 

今更そんなことに気がついてもどうなんだって感じですが。

ところで、この記事で連発してきた「陰キャラ」という言葉、わたしは好きじゃありません。言い出したのは陰キャラじゃない人なんじゃないかと思います。そんなふうに思ってしまうところがこじらせていた頃の名残だなという感じもしますね。

けれどわたしは、見た目だけでなく性格も悪かった、あの頃のひん曲がった自分への戒めとして、これからも「元陰キャラ」を名乗っていこうと思います。

 

それではおやすみなさい。