読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

あおなにしお

黒田ネコがいろいろ書きます。

死にたいはずなのに平気な顔ができてしまう毎日

 

 


死にたいくらいつらいはずなのに、お腹がすく。夜中にカップラーメンを啜りながら「つらくて食が細くなって痩せるみたいな可愛げ、わたしにはないなあ」と思う。眠れない日もあるけれど、講義が1講目からあった日の夜は普通に眠れる。むしろいつもより早く眠れる。

 

友達と冗談を言い合うこともある。ご飯を食べに行ったりお酒を飲みに行ったりもする。最近は函館に旅行にも行った。朝市の蟹丼が美味しかった。一週間ばかり学校を休んでもみたけれど、単位が心配になったので休むのをやめた。久々に会った友達には「元気そうで安心した」と言われた。ああ、元気なのかわたし、と思った。元気なのか。つらかったんじゃなかったのか。死にたかったんじゃなかったのか。いやでもお腹すくしなあ、お酒も美味しいしなあ、単位なんか気になっちゃったりするしなあ。案外つらくないのかなあ。大丈夫なのかなあ。

 

一度カッターを手に取ってみたけれど、いやいや絶対痛いだろ…普通に考えて無理でしょ…と思って刃を引っ込めた。煙草の火を押し付けてみようかなとも思った。怖くて秒で水にさらした。市販の風邪薬を一瓶アルコールで一気飲みしてみたが、具合が悪くなっただけだった。いっそもっと体調を崩そうと思ってお酒を煽った。店の前で立てなくなった私を、店長さんは呆れた目で見ていた。タクシーに押し込まれて二千円を握らされた時、なにをやっているんだろうと思った。家に帰り顔を洗って眠った。

 

SNSで「死にたい」と呟いてみる。本当に死にたい人はそんなことSNSで言わないと言われる。じゃあわたしは本当に死にたいわけじゃないのかな。自分の感情にどんどん自信がなくなってくる。じゃあわたしのこの気持ちはなんなのかな。明日のことはギリギリ考えられるけれど、一週間後のことは考えたくないし、何年か後なんて、こなくていいと思うこの気持ちは、なんなのかな。ただの甘えでしょうか。

 

人生で一度だけ、未来のことを真剣に考えたことがあった。いつも漠然と30歳までには死にたいと思っていたわたしが、自分がおばあちゃんになった姿を想像したことが、一度だけあった。

わたしはいつも崖の上にいて、ギリギリ際のところで下を見下ろしていた。前に踏み出す勇気はないけれど誰かに背中を押されれば簡単に落ちてしまうと思っていた。そんな感じで何年も生きてきた。多分、高校時代のこととか、いろいろ原因はあると思うんだけど、自分でもよくわからない。未来が怖かった。30歳までになにかに背中を押されて落ちるんだろうと思っていた。ある時、ふと横を見ると、同じように崖の下を見下ろしている人がいた。どちらかがどちらかを安全なところに連れて行こうとすることはなかったけれど、それからしばらくその人と、手を繋いで崖に立っていた。この人とこのままこの場所でおばあちゃんになろうと思った。そしてせーのでふたりで落ちようと思った。人生で一度だけ。自分の未来を夢見た。一度きり。

 

その人は、もういない。先に崖の下に消えた。

 

今もひとり崖の上にいる。いつ落ちるだろうか。大丈夫?危ないよ、と声をかけられれば、「大丈夫大丈夫!」と笑って返事ができる。手を振ることもできる。なんだ大丈夫そうだねよかった、と言われてしまいそうだけれど、出来てしまうのだから仕方ない。

たまに家で泣く。叫び声をあげて、自分の頭を掻きむしりながら泣く。よかった、ちゃんと大丈夫じゃないじゃん、と思う。よかった。ちゃんと悲しむこともできる。絶望も知っている。泣けないわけではない。きちんと自分の感情通りの行動ができる。よかった。けれど多分、わたしは明日も平気な顔をして学校に行く。いっそわかりやすくやつれることができたらいいのに、変に健康だから疲れる。もうよくわかんないや。

 

崖の上で、もう無理しなくていいよ、と誰かが背中を押してくれるのを、平気な顔をしながら待っている。ごめんね。